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2007年11月08日

雪まつりの始まり

雪まつりの始まり何気にしらないでしょう。

調べてみました。

1950年(昭和25年)に札幌観光協会と札幌市の主催によって開催されたのが始まりである。企画には後援の一つに名を連ねた北海タイムスが深く関与していた。これ以前に札幌には冬の祭がいくつかあったが、第二次世界大戦中に途絶えていた。

雪像を作る祭のアイデアは、小樽市北手宮尋常小学校が1935年(昭和10年)にはじめた雪まつりからとられた。最初の札幌雪まつりでは計6の雪像を札幌市の中学校、高等学校の生徒が制作した。他に札幌駅前に日本国有鉄道(国鉄)の札幌鉄道管理局が雪まつりにあわせて像を作った。

他の催しに、歌謡コンクール、タンブリング、スクエアダンス、演芸大会、ドッグレース(犬ぞりレース)、スキー仮装行列、映画「銀嶺の果て」上映があった。スクエアダンスは、凍った地面で転倒する人が出て30分で中止になった。映写会もやはり足元がすべったせいで観客が映写台を押しつぶしてしまい、中止になった。しかし祭は盛況で、翌年以降も継続することになった。


雪まつりの発展
初期の雪まつりで雪像を作るのは、札幌の中学校・高等学校の生徒で、数は5、6個であった。はじめのうち雪像は高さ7メートルを限度としていたが、1953年(昭和28年)の第4回雪まつりで北海道札幌工業高等学校が高さ15メートルの像「昇天」を制作した。雪の塊を石材のように積んだアーチ状建築物に立像を建てたもので、大量の雪が必要であったため、札幌市はトラックとブルドーザーを動員して準備にあたった。これは現在のような機械力を用いた大規模な雪像づくりの端緒となった。

1954年(昭和29年)の第5回からは市民制作の像が加わった。1955年(昭和30年)の第6回には自衛隊、商社、札幌市の出張所が加わり、様々な参加者による多数の像が並ぶスタイルが定着した。しかし高等学校の雪像制作は、3年生にとっては受験や就職活動との両立が困難になってきたことから、同回で打ち切られている。

1959年(昭和34年)の第10回の頃からは、雪まつりを目当てに北海道の外から訪れる観光客が増え始めた。札幌オリンピックがあった1972年(昭和47年)には世界的に雪まつりが紹介され、これ以降海外からの観光客も目立つようになった。1974年(昭和49年)からは海外都市の派遣による国際雪像コンクールがはじまった。

すすきの氷の祭典は、雪まつり開催にあわせた独自のイベントとして1981年(昭和56年)から始まったが、1983年(昭和58年)より雪まつりの会場の一つとして組み込まれている。

1990年の第41回から中央区の中島公園が第4の会場として加えられたが、1992年の第43回をもって廃止された。3回限りで廃止された要因として、中島公園会場は市民制作の雪像がメインだったため大雪像が少なく、集客力に欠けたことがあげられる。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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